仕事、育児、そして親の介護。 毎日を回すだけで精一杯で、ここ数年、季節の行事の記憶がほとんど残っていません。
正直なところ、義母や実母のことで走り回っていて、「母、母……もう母の日はいいわ😓」と投げ出したくなる日もありました。私にとって母の日は、感謝の日ではなく「忘れてはいけないタスク」になっていたんです。
けれど、今年の母の日は少し違いました。 10年前から「平穏な日々なんて来ない」と思っていた私が、久しぶりに「今日のことは覚えていたい」と思えた理由をお話しします。
こんな悩みを持つ人におすすめ🍀
- ダブルケア(育児・介護)で毎日がいっぱいいっぱい
- 季節の行事を楽しむ余裕なんてない
- 「ちゃんとしなきゃ」という責任感が重荷になっている
- 家事を減らしても、気持ちまでラクにならない
「言われてすること」が、ずっと苦しかった
これまでは、どこか「やらされている感」で動いていた気がします。
- 「母の日だから、何か贈らなきゃ」
- 「施設に行かなきゃ」
でも今年は違いました。
昨日、夫と二人で施設にいる義母へ義母が食べたがっていたショートケーキを届けたんです。
不思議なことに、「行かなきゃ」ではなく、「届けたい」と思えました。
自分たちの意思で動いたことは、まったく負担ではありませんでした。
あんなに重かった「義理の気持ち」が、ふっと軽くなった瞬間でした。
熊本旅行で選んだ、母へのブラウス
先日、家族で熊本へ旅行に行きました。

その時、地元の老舗百貨店「鶴屋百貨店」に立ち寄り、実母へのブラウスを選びました。

ポップアップショップだったのですが、めちゃくちゃ雰囲気が可愛くて目に止まり🩷
ただ「モノ」を贈るだけではなく、
- 「この旅行、楽しかったな」
- 「これ、お母さん似合いそうだな」
そんな時間ごと、一緒に渡したかったんです。
「ついで」と言うと聞こえが悪いかもしれません。
でも、生活の流れの中で無理なく選ぶことが、結果として贈る側も、贈られる側もラクにする。
「どれがいいだろう」とゆっくり楽しく選べたのも、本当に久しぶりのことでした。
このバクネもピンクのカラーがとてもキレイで春夏用にプレゼントすると喜ぶかな?と思って見ていました。


一番疲れが取れたのは、子どもが作ってくれたカレー
そして今日。 子どもが、私のためにカレーライスを作ってくれました。
実はダメもとで「作って欲しいな〜。」とお願いしたんです。
するとあっさり「いいよ。」との返事。
普段の私は、「どうやって家事を減らすか」ばかり考えています。 掃除をラクにする道具を探したり、少しでも体力を残せる方法を考えたり。
「子どもとの時間を確保して大切にしたい。」
そんな思いがずっとありました。
でも、一番の「家事の負担軽減」は、家族のこんな優しさでした。
台所に立たなくていい時間。
誰かが、自分のために動いてくれる時間。
いつの間にかカレーを作れるようになっていた子どもが、近くで見守る私に言った一言。
「まかせていいよ」
その姿に、思わず涙が出そうになりました。
「今日はお願いしていい?」と素直に頼れた自分自身の変化にも、驚いています。
母、母……
ずっと「誰かの母」のことばかり考えていた毎日。
でも今日、
「そうか、私も母だったんだ」
と、ふいに思いました。
子どもの成長を、こんなふうに嬉しいと思えた日を、私はきっと忘れません。
久しぶりに、「花を植えたい」と思えた

何より驚いたのが、久しぶりに花屋さんへ行き、「花を植えよう」と思えたことです。
ダブルケアが始まってから、そんなふうに自分の心を優先させた記憶はほとんどありません。
ここ数年、必死に作ってきた“隙間時間”。
それをようやく、自分の「心を潤すため」に使えるようになった。

花を見て「きれいだな」と思えたこと。
癒やしを求めるだけでなく、純粋に「花が好き」だった気持ちを取り戻せたこと。
それだけで、暮らしに少し色が戻った気がしました。
汗ばみながら「腰が痛い」とかなんとか言いながらも、花を植える時間が楽しくて、つい時間を忘れて夢中になっていました。
まとめ|頑張りすぎている人へ

記憶がなくなるほど必死な毎日を過ごしているなら、それは、誰かのために全力で頑張っている証拠だと思います。
もし今、「生活に色がない」と感じているなら、まずは家事を少し減らしてみてください。 便利な道具に頼ってもいい。ちゃんと手を抜いていい。
心に少し余白ができるだけで、「義務」だったものが、少しずつ「温かい記憶」に変わっていくことがあります。
そんなことを実感した母の日でした。

10年前から終わりが来ないと思っていた平穏な日々。、
それでも少しずつ光が見えてきました。
私が今日、久しぶりに土を触って、花の彩りを楽しめたように。
いつか必ず少しずつ色が戻っていきます。

といっても、私のダブルケアがこれで終わったわけではありません。
いい時もあれば、どん底のように悪い時もある。
そんな「波」があることは、これまでの経験で痛いほど分かっています。
さらに言えば、実母も年を重ね、これからさらに介護の負担が増えていく「トリプルケア」の予感さえしています。😅
正直、気が抜けない毎日はまだまだ続きます。

でも、今回の母の日で気づいたことがあります。
それは、「必死に効率化して作ってきた数分の余白が、いつか自分の心を守る力になる」ということ。
今まで私が、掃除をラクにする道具を探したり、家事を手放す工夫をしてきたのは、
“ラクをしたかった”からではなく、
心が完全に折れてしまわないようにするための、小さな準備だったのかもしれません。
たぶんこれからも、うまくいく日ばかりではありません。
それでも今日みたいに、
花を見て「きれいだな」と思えたり、
誰かの優しさに「ありがとう」と感じられたり、
そんな小さな感情を失わずに生きていけたら。
それだけで、十分なのかもしれないなと思いました。

最近の私は、やっと少しだけ「泣ける」ようにもなってきました。
ほっとした時の涙。
誰かの優しさに触れた時の涙。
昔なら普通だった感情が、ここ数年はどこか遠くなっていた気がします。
毎日を回すことに必死で、気づけば「感じる余裕」までなくなっていたのかもしれません。
だから最近、
花を見てきれいだと思えたり、
母の日の時間を温かく感じられたり、
子どもの作ったカレーに泣きそうになったり。
そんな小さな変化が、自分でも少し嬉しいんです。
いつも最後まで読んで下さってありがとうございます。なな🍀

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