義母の介護が始まったとき、夫との関係にも思いがけない変化がありました。
「わかってくれない」と悩んだ日々を乗り越え、少しずつ“支え合う夫婦”へと変わっていった私の体験を綴ります。
介護の始まり。休むことを忘れた日々
義母を引き取って介護が始まった頃、私は休日とあらば空いている時間を義母のことに費やしていました。
通院の付き添い、買い出し等々・・。気づけば仕事以外の時間を子どもとのかかわりより義母との時間が増えるばかり。そんな日々が続くうちに、私は夫に愚痴を言ってしまうように。状況はわかってくれていると思っていました。そんな中、ある日夫は
「もう少しなんとかならないの?」
「もっとできるんじゃない?」
と言ってきました。ええ?これ以上?本気で言ってるの?
「そんなにできるかー!!」「状況わかってんの??」
その日の日記には「何もわかってない。腹たつ!」と書いてありました。当時つけていた日記を見返すと殴り書きの字にキレた怒りがこもっている様子が伝わってきます。でも夫には直接自分の気持ちをぶつけることはできませんでした。
「わかってもらえない」寂しさ
息子が母を大切に思う気持ちは分かります。大好きな母親ですからね。では夫が私を大切にする気持ちはあるんですか?
「ありがとう」と言う言葉は言っていましたが、義母の為の「ありがとう」。頭を下げることが出来るのも義母が大切だからですか?
では私がそんな立場になった時、夫は私のために頭を下げるのか?出来るの?そんなこと。
次々と湧いてくる疑問と不満。
——その言葉の裏には悪気がないとわかっていても、私には“わかってもらえない”という寂しさが募っていきました。
私が疲れて倒れそうになっても、夫は「仕事があるから」と言って外に出ていく。当時私も同じ正社員で状況は同じ。子育て、家のこと、地域のこと、義母のことほとんど私の負担でした。今だったら考えられない・・。若かったから?休むことを知らずに走り続けてきたから?
なのに自分の親なのに義母のことはほとんど私任せ。ふたりの使いパシリか?心の中で、少しずつ壁ができていったように思います。夫への気持ちも冷ややかな感情が生まれました。
「私の価値なんてない。」と自分を卑下したり、性格もだんだん悪くなっていく怖さを感いたり。そんなうんざりした日々の中・・。
本音を伝えた日。小さな変化のはじまり
仕事、子育て、家のこと、義母のこと・・もう無理だ。限界。義母の要求も認知症が進むにつれ徐々にエスカレート。
そう思ったある日、私は思い切って夫に気持ちをぶつけました。
「私もしんどい。全部を私が背負うのは無理。
あなたにももっと手伝ってほしい。」
オブラートに包まずにハッキリと。夫は少し驚いた表情を見せましたが、それから少しずつ変わっていきました。
義母の通院に同行してくれるようになり、休日も一緒に動いてくれるように。
自分もやってみると、どれだけの気遣いと時間、労力がとられるか実感したようです。
実際の介助はまだ私の方が多かったけれど、
“自分だけじゃない”と感じられるようになって、心がすっと軽くなりました。
わかって欲しかったのは頑張りより気持ち。
介護は家族みんなの問題。
でも、気づかないうちに“誰かひとり”が背負ってしまう。
夫がその現実を知ってくれたことが、私たちにとって大きな転機になりました。
「完璧じゃなくてもいい」
「介護」は家族全員のことなのに、気づかぬうちに“誰かひとり”が背負ってしまうもの。
自分が思い切って想いを伝えたことで、私たちの関係は少しずつ変わり始めました。
完璧じゃなくてもいい、手伝ってくれるその姿勢が、私には何より心強いです。
今では「今日は俺がやるよ」と言ってくれることも増え、以前よりずっと心穏やかに過ごせています。もちろん、時に疲れてしまう時は口論することもありますが、介護がきっかけで夫婦の距離が縮まるなんて、あの頃の私には想像できませんでした。
同じように悩むあなたへ
同じように「わかってもらえない」と感じている方へ。
ほんの些細なことでも、正直な気持ちを伝え合うことで関係が大きく変わることがあります。
言葉は、相手の状況によっては時に届きにくい時もありますが。
ふと今までの自分を振り返ると、素直に弱音を吐くことがなかったな・・。そして夫に面と向かって本音をぶつけたこともなかったのかも・・と気付きました。私自身の抱え込みやすい性格が自分で自分を追い込んでいたのかも知れません。
私は介護を通して義母との関係だけでなく、日常でも自分の気持ちを素直に伝えられるようになったことを、とても嬉しく感じています。
介護がもたらした思わぬ変化でした。
次回は、夫の立場から見た介護や、その中で感じた気持ちについて書こうと思います。
読んでくださって、ありがとうございました。 なな🍀

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