見えない介護 ─ 通い介護の裏側で静かに積もるもの

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昨日のこと。

義母から「お金も鍵も〇〇さんがとった。」と感情的な電話が続いていたので、夫も休みだったため、一緒に探そうかということになり、施設に向かいました。

刺激しない方が良いときと、すぐに対応した方が良いパターンがあるのを常に見定めて行動しています。(間違える時もありますが💦)


職員さんから、「最近鍵を失くすことが続いています。」と。
さらに、鍵探しを一緒にしてくれた職員さんを疑って怒鳴ったこと、
生活がうまく回っていないため、
グループホームも検討した方がいいかもしれません
と提案されたことも伝えられました。

その後「一緒に探してあげて下さい。」と言われ、義母の部屋を夫と一緒に探し回り😅

1時間後ーー

鍵もお金もすごいところから見つかりましたーー!(よくそんな所に隠したのね・・と驚く場所で、めちゃくちゃ包んであった笑)

そしてまたすぐに隠すんでしょうけれども。(私たちは大人の宝探しゲームと呼んでいる)

帰り際、あんなに「〇〇さんが盗んだ!」と言って怒っていたのに、「〇〇さんに世話になっているからいいお菓子←駄菓子じゃないやつね笑 買って渡しといて。」と言っていました。「もう買って渡しましたよ。」と言うと喜んでいました。

朝から気がたかぶっていましたが、施設を後にし帰路に着く途中、胸の奥にずっしり来た夫と私。
「そうか、いよいよ次の段階かもしれない」
その現実を突きつけられたようで、帰宅後ふたりともソファーで爆睡してしまいました。起き上がる時はすごく体が重くてダルかった💦

義母の物忘れは前からありました。
だけど、人を疑う強さ、怒り方、生活の崩れ方。
昨日はそれが一段階、また深くなった実感がありました。


目次

「かわいそう」じゃない。私がほしかった言葉は、そこじゃない。

夜になって、久しぶりに義姉に状況を伝えました。
義母の“物を取られた妄想”が強くなったこと、
施設からグループホームを勧められたことも含めて淡々と話すと、

返ってきた言葉は、

「かわいそうだね」「仕方ないね」「お母さんも困っているよね」

「そうですよね・・。」

と言いながら、その瞬間、胸のどこかがカチンと鳴った。

かわいそうなのはわかる。よーくわかっている。認知症だもの。忘れるのは仕方ないこと。
でも昨日の私は、義母への共感でも同情でもなく、

“ここまでいつも対応してくれてありがとう”
ただ、その一言がほしかった。

通い介護は、毎日の小さな段取り・判断・気疲れの集合体。
義母の感情に寄り添えるほど余裕がない日だって、当然ある。

えっと。話すんじゃなかった・・。誰かに聞いて欲しかったけど、相手を間違えた自分が情けない😂


見えない重さは、言わなければ誰にもわからない。

生活がうまく機能していない義母を前に、
「どう支えるか」ではなく
「どこまで支えられるか」を考えるフェーズに入ってしまった。

これがまた、静かに重い。

誰かのために走り続けると、
感情の置き場所がどんどん無くなっていく。
昨日は、その“置き場のなさ”に心がついていけなかっただけで。


明日また動くために、今日はここまで。

投げ出さない自分を、少しだけ認めてもいいのかもしれない。

ああ。今日は静かに、疲れた心と体を下ろすだけにして眠りたいです。


だから睡眠環境にこだわるのかも知れません🤭↓

ブラックフライデーで買うぞ〜!

今日も読んで下さってありがとうございました。なな🍀

この記事を書いた人

介護・子育て・趣味・投資。時々旅行で現実逃避をする、日常をゆるく発信中のアラフィフ主婦ブロガーです。地方暮らしですがオシャレしたくて自分らしく楽しんでます^_^

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