病院に義母を連れて行く日。
この日は朝から少し気が張る。
家事はいつもより簡単にすませ、
義母の保険証やマイナンバーカード、お金を確認。
認知症のため、出発の10分前には電話をして準備をうながす。
施設までは車で40分。
外出の申し出をして、義母の手押し車を積み込み、病院へ。
診察までの待ち時間は1時間近く。

受診の際は一緒に話を聞き、医師と薬の相談をする。
会計を済ませ、薬局で薬を受け取り、
義母の頼まれごとを思い出しながらスーパーに立ち寄る。
必要なものを手早く買って、再び施設へ送る。
その頃にはもう昼をすぎている。
家に戻ると、半日があっという間に消えていた。
通い介護は、見た目には「ちょっとした付き添い」かもしれない。
でも実際は、段取りと気配りと体力の連続。
感謝されることも少なく、誰にも見えない時間が流れていく。
病院の待合室でふと義母の横顔を見る。
「これが見えない介護なんだな」と思う。
支えることは派手ではない。
けれど、この静かな積み重ねも介護。
帰宅してソファーに座ってため息がひとつ。
「今日もなんとか終わった」「義母が転ばなくて良かった」——
この繰り返しなのですが——
時には介護タクシーも利用して欲しい。それはお金が発生するので義母は全く受け付けません。
一度うちの家族が家族中インフルエンザになった時と義母の腰の痛みがピークだった時が重なりました。
私たちは病院に連れて行けないため、義母には状況を伝えたのですが、何度も何度も連れて行ってくれと電話があり。
今回はどうしても無理だと言うことを伝え、介護タクシーを使ってもらったのですが、義母はやはり不満だったようで義兄に苦情を伝えていたようです。
義姉から「お母さんが夫に”息子たちが腰が痛いのに病院に連れて行ってくれない。”と何度も訴えてくる。夫が義母の死にそうな声を聞いて、夜も眠れず寝込んでいるの。」と伝えられました。

「義兄が寝込む?」「死にそうな声って何?」←義母はうちにはめちゃ元気な声ですが・・
え?寝込んでいるのはうちですけど・・?
どういうことだろう。
「インフルエンザで動けないんです。」と言うと、義姉は驚き、義母はそのような状況にあることを義兄に伝えていなかったようです。
それを聞いてインフルでぐったりだったのに、さらになんだか疲れがどっと出ました。
思わず、
「うちもしてあげたくてもどうしても出来ない時はある。」「心配で寝込むぐらいなら一度ぐらい義兄が来て連れて行ってあげたら。」と夫に伝えました。
そんなややこしい話になるぐらいなら、自分が連れて行ったほうがダブルで疲れを感じなくていいと思うようになり、今に至ります。
介護を抱え込まないようにということはわかるのですが、なかなか理想通りにはいかないものです。
今日も読んで下さってありがとうございました。なな🍀

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