――介護と家族関係のあいだで――
義母の気持ちは、誰にもコントロールできません。
ましてや、私には到底できない。
頭ではわかっていても、心が追いつかない日が何度もありました。
義父が亡くなってから、義母の様子が少しずつ変わり始めました。
寂しさと不安の中で、義母は「お金を送る」という形で心を埋めようとしていたのかもしれません。
義兄の子、つまり義母の孫に頻繁に送金するようになったのも、その一つの表れだったのでしょう。
最初のうちは、かわいい孫への思いやりだと受け止めていました。
けれど、その金額が大きくなり、回数が増えるにつれ、胸の奥に複雑な感情が積もっていきました。
なぜ、何もしていない義兄家族にはあんなに?
そして、義母の世話をしている私たちには、ほんのわずかなお礼だけ。(栄養ドリンクと駄菓子ね)
義母のために動いているのに、報われない気持ちがふくらんでいきました。
でも、義母に悪気はないのです。
義母はただ、寂しさを紛らわせたくて、
孫の声を聞くと少し元気になって、
その勢いのまま「送金したい」と言う。
私が付き添って金融機関へ行く。
最初は当然のことのように感じていたけれど、
何度も繰り返すうちに、心が疲れていくのを感じました。
義母にとっては、送金は“つながり”の証だったのかもしれません。
だけど、私にはそれが“差”として映ってしまう。
「都会で頑張っているから。」「都会はお金がかかるから。」といつも言う義母。
遠く離れているからこそどうしているか心配。たまにしか会えないから貴重な存在。
でも、義母の気持ちを理解したいのに、どうしても割り切れない。
その葛藤が、義兄たちとの関係にも影を落としていきました。
「義母の気持ちはコントロールできない」
そのことに、やっと気づいたのはずいぶん後のことです。
私は義母を変えようとしていたのかもしれません。
公平であってほしい、感謝してほしい――そう望んでいました。
でも、人の心は思いどおりにならない。
義母の寂しさも、愛情の向け方も、私の手の届かないところにある。
そう認めたとき、少しだけ心が軽くなりました。

義母の行動に戸惑いながらも、私は今日も義母の用事を済ませます。
遠くに住む義姉たちには「遠いから出来ないのは仕方ない」で済む義母の感情が、私たちには「近いのになぜすぐに出来ない」という不満になる。
認知症が進んできた今、そんなことを考えても仕方ありませんが、正直やりきれない思いは今もあります。
もしかしたら、コントロールできないのは義母だけでなく、
自分の感情もなのかもしれません。頭で理解していても感情が追いつかない。
ただ一つ言えるのは、
義母も、義兄たちも、夫も私も、それぞれの立場で一生懸命生きているということ。
時間が経てば、少しずつ心の距離が変わるかもしれません。
介護で家族のすれ違いが起きてしまった今、
その変化を焦らずに見守ることが、
今の私にできる精いっぱいなのだと思っています。
義兄・義姉との関係の以前の記事はこちら→義兄・義姉との関係が少しずつ変わっていった話
今日も読んで下さってありがとうございました。 なな🍀

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