退職後、やっとできた”自分の時間”に感じた期待
退職して、仕事をパートに変えた私。
正職員だった頃よりも時間にゆとりができて、「これからは自分の時間を大切に出来る!」とワクワクしていました。
過去一番忙しかった時期に始まった義母の介護も、これからはもう少し余裕をもって出来る。
子育ても、家のことも、いろいろと「追われない生活」が出来るーーそう思っていたのです。
義母からの「週1で来てほしい」提案
そんな矢先、義母から「週に1回、パートが休みの日に来て、家事や通院、買い物を手伝ってほしい」と頼まれました。
車で片道40分。週1回くらいなら大丈夫だろうと軽い気持ちで引き受けました。
でも実際には、義母は腰を悪くしていて、さらに認知症もゆっくりと進行していました。本人は周りの状況も見えづらくなっているのに私は気付きにくく、1年、2年と経つごとにお願い事の多さに戸惑っていました。通院先や必要な物も毎回変わり、義母の用事で出かけることも増え、だんだんと“週1”では済まなくなっていったのです。
「私しかいない」と思い込んでいた
今思えば、私がすべてを背負う必要はなかったのかもしれません。
でも当時、夫は仕事で多忙で、義兄は遠方に住んでいて頼れない状況。
「結局、私しかいない」──そう思い込んでいたのは、私自身でもあり、周囲の無言の期待でもあったように感じます。
家族だから無償でやって当然に感じた違和感
正直、何度も「ヘルパーさんにお願いしたい」と思いました。
でも義母は、「お金がかかるから、あなたに頼む方が助かる」と言いました。その言葉を聞いたとき、“私は節約のための人手なの?”と、何とも言えない気持ちになったのを覚えています。
情けなくて、悔しくて、それでも「家族だから」と自分を納得させようと必死でした。
子どもとの時間を削ってまで、私は何を選んだのか
たしかに、正社員のように早出・残業はなくなり、規則正しい生活はできるようになっていました。でも、当時子どもはまだ3歳。これまで思うように時間を取れなかった分、もっと子どもと過ごしたいという思いが強くありました。
それなのに、自分の時間も子どもとの時間も義母の介護に割かれる日々。
どこかで私は、無理をしていたのだと思います。
心が少しずつ、悲鳴をあげ始めていました。
小さな違和感が、心の距離を生んでいった
「私を大切にしてくれていない」
「自分のことばかりお願いしてくる」
「銀行員さんには高級なお菓子を買うのに、私には駄菓子だけ」
──そんな小さな違和感が、少しずつ心の中に積み重なっていきました。
それは、義母との心の距離にもなっていき、介護をするたびにどこか気持ちがすれ違っていくのを感じていたのです。そして認知症はゆっくりと、じわじわと時間をかけて進行していくのだということを私自身気づけなかったこともあり、義母の不安から出る要求も理解できにくかったように思います。
今だから思うこと──“頼る勇気”も必要だっ
いま振り返ると、「私がやらなきゃ」と思い込まずに、もっと早く誰かに相談すればよかった。
一人で抱え込まず、「助けて」と言うことも大切だったのだと、ようやく気づけた気がします。
家族だからこそ、感情の線引きが難しくなる介護。
でも、誰かを思いやるためには、自分の心を守ることも同じくらい大事なんだと思います。

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