義母の変化に気づいていたのに、受け入れられなかった私

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家族ですれ違ってきた心の変化とは

退職して少し心に余裕ができたはずなのに、義母と過ごす時間が増えるほど、胸の奥に小さなざらつきのような違和感が積もっていきました。
「なんだか前より物忘れが増えたな」「同じ話を何度もするな」「ありえないほど酷いことを言うな」――そんな小さな変化に気づきながらも、「年のせいだろう」「誰でもあること」と自分に言い聞かせていました。
でも、その小さな見過ごしの積み重ねが、後になって私自身を苦しめることになるとは、そのときは想像もしていませんでした。

義母の言動にモヤモヤしても、「しょうがない」と飲み込む。
本当は「つらい」「助けてほしい」と思いながらも、口には出せませんでした。
“自分がやらなければ”“嫁だから”“ここで弱音を吐いたら終わり”――そんな思いが、心の中で鎖のように絡みついていました。

今振り返ると、私は「義母を支えたい」という気持ちよりも、「良い嫁でいたい」「責められたくない」という思いのほうが強かったのかもしれません。そして、それを自分で認めるのが、何よりもつらかった。けれど、どんなに頑張っても、心の中で不満が積もる一方でした。
イライラする自分に罪悪感を持ち、「私は冷たい人間なのかな」と落ち込む。「よく義母のことしてあげてるね。」と言われると「いや、私は偽善者かも。」とモヤモヤする。なんとも言えない感情が常に揺れ動いて疲れていました。

義母の発言に戸惑いながら、これが本性なの?と怖くなったりしていました。以前はそんなひどいことは言わなかったのに、、。違う人格を持ってしまった人みたい・・。夫に「義母は昔どんな人だった?」と聞いたり💦よく覚えている風景が、腰の悪い義母を夫が支えて歩いている時、義母の顔がまるで「あなたより私を大切にしているのよ、私の息子は。」と言っているように見え、夫に支えられながらヨタヨタと歩く義母に嫌悪感を持ったこともありました。演技っぽく見えてそれに騙される息子もおかしいんじゃない?と思う自分もいました。そんな風に感じる中で、私の中の心のエネルギーも少しずつすり減っていきます。

7年前のことを少しずつ思い出して書き進めていますが、今思うとかなり病んでますね😅自分の性格もだんだん悪くなっていくような気がして正直うんざり。正社員でいた時の方が忙しいけどなんだか自分が輝いていて、介護も気持ち良く優しくできていたのでは?パートになって時間に余裕がもてて、もっと快適に介護できるはずだったのに。あれ?あれ?こんなはずじゃなかった・・。少しずつ自信を無くしていく私。

「介護は、誰か一人の頑張りで続けられるものではありません。支えてくれる人、話を聞いてくれる人、制度やサービス――それらを頼ることは、決して弱さではない。」よく聞く話です。そうだと思います。ですが介護サポートが始まった当初は、お金が発生することを嫌がる義母だし、遠く離れた義兄家族や多忙な夫より私が今一番支える環境にあるという現実。私は頼られているんだと思うと頑張るしかないという思いで突き進んでいました。振り返らない、振り返れない現状。

介護サポートを終え、義母と別れる際に渡される駄菓子袋を握り締め、「私の価値はこのくらいなのか」という不満も積み重なっていきました。仕事だったら報酬がもらえる。じゃあ報酬があったら介護も気持ち良く出来るのか?それもわからない・・。

TVで「長女症候群」というのを知ったのですが、他人に頼るのが苦手、頑張りすぎる、休むと罪悪感がわく、他人の心配ばかりする、責任感が強い、完璧主義、いい子であろうとする などがあげられるそうです。・・え!ほとんど当てはまっている!まさに私は長女です。そんな自分の性格もあり、自分で自分を追い込んでいったのかも知れません。義母の進んでいく認知を冷静に理解して対応を考えるより、自分の気持ちをコントロールするのに精一杯だったようです。


この記事を書いた人

介護・子育て・趣味・投資。時々旅行で現実逃避をする、日常をゆるく発信中のアラフィフ主婦ブロガーです。地方暮らしですがオシャレしたくて自分らしく楽しんでます^_^

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