義母の介護を通して、少しずつ変わっていく夫の姿を見てきました。
支えるだけでなく、支えられることを知った今。
私は“夫婦の関係”について、これまでとは違う角度で見つめ直しています。
母を介護することは、ただ支えることではない。
心を映し合い、互いを見つめ直す時間でもありますね。
夫の変化を見つめながら、
老いは、終わりではなく“自分を知る始まり”なのかもしれないと感じました。
老いていく母を見て、自分を知る夫。
そしてそれを見ている私が気づいたこと。
夫に対して「ここは嫌だな」と思うところが、義母と似ている…。
夫のように、私もそう気づいていました。
そしてある日、
夫に「お義母さんはここが嫌だ」と言いながら、
実は夫に対して「あなたのここが嫌だ」と今まで言えなかった思いを、
義母を通して言っている…?とハッとしたことがありました。
あれ?
もしかしたら私は、義母を通して夫に対する我慢を吐き出していたのかもしれない。
そう思うと、これまでのすれ違いの理由が少しだけ見えてきました。
変わっていく夫と、私の中の変化
義母の介護をきっかけに、夫は少しずつ変わりました。
以前よりも静かに、そして素直に人の話を聞けるようになった気がします。
私はというと、
「もっと手伝って」「どうしてわかってくれない」と思っていた自分に気づき、
その気持ちを少しずつ手放していきました。
気づかせてくれたのは、義母の存在
義母と過ごす時間の中で、私は“夫の母”というより、“夫の鏡”を見ていたのだと思います。
義母に向けていた言葉が、実は夫への言葉であり、
夫への言葉は、過去の自分への言葉でもありました。
介護の時間は、ただの負担ではなく、
「家族を見つめ直すための静かな学び」だったのかもしれません。
支え合うということ
完璧ではなくてもいい。
できないことがあっても、責め合わない関係でいられれば、それで十分だと思えるようになりました。
夫の変化を通して、私もまた変わっていく。
お互いの弱さを受け入れることで、少しずつ距離が近づいていく。
義母を通して学んだことは、
「支えること」よりも、「寄り添うこと」の大切さでした。
結び
老いを通して、人は他人の姿を借りながら自分を知っていく。
義母を見て、夫を見て、そして自分を見つめ直す。
その繰り返しの中で、
私は少しずつ「優しくなる練習」をしているのかもしれません。
今日も読んで下さってありがとうございました。なな🍀

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